ところで前回、最後のデストロイを討つシンのセリフはてっきり「こいつを討てば!せめて!!」だと思っていたが、どうも「こいつを討てば!すべて!!」だった模様。ええそうなんですBelieveも未だに“いつか違う僕が”(本当は“いつか誓う僕ら”)と聞こえてならない俺ですから。

それにしてもCMを見るにつけ思う。セカンドステージってなんだったんだろう。そして図らずも、この疑問は今日劇中でも語られる事になる。


ガンダムSEED(デスティニー)39話 天空のキラ


<あらすじ>
ラクス・再び挙兵。ストライクフリーダムの圧倒的な戦闘力でザフトの追撃隊を壊滅させる。



<みどころ>
復活したキラと新型機・ストライクフリーダムの顔見せの回。

この『ガンダムSEEDデスティニー』におけるアークエンジェルの地位は微妙である。彼らが出てきてから物語世界は混乱し、一部ではゴキブリのように忌み嫌われている。私も好きではない。

が、しかし・・・しかぁし!

今回のキラ、マジカッコよかっっス。胸にグサグサきたッス。
とりあえずデスティニーの地味ーな顔見せとのものすごい差別を感じるんですが、それも気にならないくらい、今回、よかった。
うんマジで。今回の話のなにがどう新シリーズなのかさっぱりわからないけど、よかった。
コンスコンのパロディっぽいのもよかった。引き立て役でしかない赤犬と赤いストライクもよかった。

セカンドステージの存在意義を根本から疑問視したけど、よかった。
重要なノート一冊が不自然に残ってるのがすごく微妙だったけど、とにかくよかった。
コーヒー缶をつぶすためだけにしかシンが出てきてないけど、よかった。
サトーさんの裏で議長が糸を引いていたっぽいけど、そんな重大ニュースが背景にしかならないくらいよかった。

いやもうとにかくサイコーっス。キラもストフリもマジかっこいっす。
今こそ、福田監督の真のメッセージがはっきりわかっ気がしますハイ。

キラタちのせりふを振り返ってみよう。
「こうして君がここにいるだけでも、嬉しい」
「待ってて、すぐに戻るから」
「そして帰ろう。みんなのところへ。」
有史以前から変わらぬ、『守るべき女のために戦いに出る男のせりふ』に他ならない。

世界秩序とか世界平和とか、キラたちの目的がはっきりしていないこととかどうでもいいんです。
ガンダムSEEDシリーズは、守るべき家(女)のために全力で戦う、愛に捧げる魂の物語なのだから。


つまりは、そういうことなのだ。
ラクスたちはなぜ戦い始めたのか?恋人同士で乳繰り合っているところを邪魔されたからなのではなかろうか。シンたちのドラマも、全世界の事情とやらも、すべてはこの男女の安息の前ではほんのスパイスに過ぎない。彼らはひたすら『自分らの安息の邪魔になりそうなやつ』を片付けて回っていたのである。その選考基準にやや難がある気がするが、恋は盲目なのである。

みよ!
ラクスとキラの晴れやかな笑顔の前に、他人の都合に振り回されるシンたちがいかにちっぽけに見えることか。


『男は他人がどう思おうが、自分が選んだ道を行けばいい』
私の大変好きなゴルゴ13の言葉がある。

この物語のキラを見よ!まさにその通りではないか。
戦争に家庭の平和が無情に引き裂かれるドラマは数限りなく存在するが、恋愛成就のために世界そのものを変えようとはすばらしく壮大なスケールである。


今こそ、福田監督の崇高なメッセージを代弁させてもらおう。


男として生まれたならチンケなことはするな。
自分が選んだ女には妥協するな。
たとえ全世界を相手にしてでも道を貫け。




そう、まさに男道である。漢道というべきか。

キラに不満を感じる皆さんは自身を振り返ってみるがいい。複雑な事情を抱えた彼女を見捨てた事はないか?生き方に妥協をした事はないか?どんな権力を相手にしても、自分の愛を守りぬけるか?
私なぞは恥ずかしくて何もいえなくなってしまった。キラの生き方のなんとすがすがしい事か。

グローバル化しつつある世界の中で、自分がどうあるべきか、は生き方の根幹にかかわる。
ふがいない青年があふれる現代社会への熱いメッセージが、今回のSEEDには見て取れる。福田監督こそ司馬遼太郎の再来とも言うべき国士なのである。

明治の維新より140年。生きて同時代に福田のように国家100年の大計を持つ憂国の志士を見る事ができた事に、私は深く感動している。

あまりに深く心に刻まれすぎたため、この話今日で打ち切りでいいよと思ってしまったほどである。


ギルバート・デュランダル。彼の政治センスは決して悪くない。共通の敵の下に戦争を終息させた手腕にも並々ならぬものがある。
その彼の、おそらくはたった一つのミス、それはラクスたちの安息を破ったことである。
いや、これすらも、真の愛にめぐり合わなかった寂しい人間の当然の帰結なのだろうか。

若きタリア・グラディスの一度の気まぐれは、とてつもなく高くついたのかもしれない。


<けつろん
人の恋路を邪魔するやつは馬に蹴られて死ね。


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