旅行から帰ってきてとりあえず真っ先に見る。正直レビュー書くのがきつい。
感想は一言のみ。


行けシン!その金色の不燃ゴミを叩き落すんだ!!

このアカツキこそ、シンの“討つべきもの”が具現化された姿なのではないだろうか?




ガンダムSEEDデスティニー40話 黄金の意志


<あらすじ>
カガリがオーブの指揮権を奪回、ザフトの猛攻に立ち向かう。


<みどころ>
金ピカの新鋭機・アカツキが登場。カガリがユウナを引き摺り下ろして大活躍。

冒頭、ヘブンズベース戦の結果を受けてのシンの叙勲。ついにシンもフェイスになる。
なお、叙勲のさいに「えーレイ全然活躍してないじゃん」とか「この勲章って使い捨て要員用のヤツだよなぁ」との思考が去来したようであるが口には出さなかった模様。本音を隠せるのは大事な処世術である。

不器用でいつもバカばかり見る男はまだ多分に思考が幼い少女ばかりを引き当て、
仕事のために本心を偽り他人を踏み台にできる男はまともな恋愛ができず、最後にはミーハー好きの女だけが寄ってくる。
SEEDのこの構図は、出てくる人物がみんな美男美女という点以外では案外リアルなのかもしれない。

ところでこのフェイスという身分、とても11話ごろと同じ価値とは思えないがまぁいいのだろう。


どうでもいいが議長、人前でかつての女にばかり声をかけるというのもいかがなものか。しかも思いっきり聞かれちゃまずい内容話してるし。


本編はオーブ周辺の緊張を中心に推移する。「国際犯罪者を引き渡せ」と恫喝するザフトに対し、「主権の侵害だ」と抗議するユウナ。ようするにアフガン戦そのものである。その後の推移は前作とほとんど同じ。国を憂いて出撃するカガリ。ユウナを更迭して指揮権を奪回、ザフトを押し返したところでシンが現れて・・・・という展開。


今回、『前首長ウズミの遺産』ことMSアカツキが登場する。公式サイトの紹介には「ウズミ・ナラ・アスハが、娘のカガリに託し、オーブの理念を具現化したMS。」とある。

ええと、
『世襲というのは最も忌むべき統治形態である。なぜなら指導者の選抜が民主的過程を経ていないためである』とか
『オーブって争いしないはずなのになんでこんな超兵器もってるの?』とか
『こんなもん作る予算とか技術で前回国を守れたんじゃない?』とか
『てめえの家の娘はかわいいのに国民とか幹部は理念とやらのために殺せる。まるでどっかの戦前みたいな理屈だよなぁ』
『ていうかアスハって独裁者?』
など、いろいろ去来してしまうんです。

ついでに、あくまで外交的に対抗しようとして交戦を避けたユウナの方針は、戦力差を考えればあながち間違いではない。口調にとらわれてその主張を見失うならそれはもう論外であるわけで。
本来ならセイラン家とか戦争責任者だけが鎮圧されれば済むところを、国ぐるみの総力戦に摩り替えてしまったのはカガリである。
というより、カガリの立場なら本来はザフトと共闘なり、少なくとも事前に接触するのはアリのはずなのだが・・・?
話し合えとかいうくせに本当に必要なときにやってないよなこの話。
カガリのように個人の先入観にとらわれて行動を限定してしまうことこそ、問題を解決から遠ざけ、逆に犠牲者を増やす、つまり本当の意味での問題なのではなかろうか?



前作の最初のころに漂っていた「オーブ=胡散臭い」というイメージは、この国の「他国に血を流させて漁夫の利を得ている」という本質を考えればおそらくは間違いではない。オーブが失笑を買いつつも許容されていたのは弱国だったからである。ところが、オーブの技術の集大成がアカツキだとするなら、見方が根本から変わるのではないか?

アカツキはウズミが死ぬ時点で未来を予測して遺されたものである。また、その戦闘力は大局を左右するほどのものだという。
つまり、

アカツキが完成時にそのまま戦力化されていれば、いろいろなものが守れたのではないか?
もっとも卑近な例で言えば、シンの家族とか、タケミカヅチ戦隊の将兵などである。


国の首長が税金を私物化したのみならず国民を見殺しにする。理念との心中のために国民ごと巻き込んで玉砕する。
「ロゴスの暗躍をこれ以上許すわけにはいかん」とか「こんな国はオレが滅ぼしてやる!」という意見のほうを応援したくもなる。
いろいろな意味で、このアカツキだけはシンに打ち殺されてくれよと切に願ってしまうのである。

と思ったらもしかしてアカツキも私有財産?じゃあいいや
結局SEEDって美男美女のセレブが金(銀)ピカの高級マシンを乗り回して貧乏人を駆逐して回る話なのね。
黄金(富)を持つものはいつの時代でも強い。そのうちに黄金を持つものはその自己再生産のためだけに人生をすり減らすようになる。
この、富自体があたかも意志を持ったように動く現象こそがまさに黄金の意志であり、民主主義社会が成熟の後に迎えるであろう弊害である。
さすがSEED、100年の大計をしっかり見据え、いささかも外れていない。


どうでもいいけどアカツキ見てると「SEEDのころって絶対お前らこんなこと考えてなかったよな」と思えてならない今日この頃。
事実確認?んな野暮なことはいいっこなしですぜい。


<けつろん
百年後のために本当に大事なものは地下に隠しておきましょう。


<さいごに>
今回でユウナ退場。お疲れ様でした。
自分の思想に他人を巻き込むアスハより、リーダーとして悪役を演じ切って潔く殴られた彼のほうが指揮官としてよほど好感が持てる。
大事なことだが、ユウナは無謀な突出をして将兵を殺してはいないのである(大体は相手か部下が暴走)。洗脳されやすい国民をよくまとめ、批判を恐れず、感情的にならずに外交的に必要なことを一貫して続け最後はカガリに見事に引き継いだ、漢。
自身の名声はおろか、歴史的な評価すらためらいもなく振り切って国家を縁の下で支えたこういう人間こそ、国の礎として真に必要な人材なのではないか。


<追記>
2chそのほかでカガリは戦闘指揮能力が高い、という意見を散見する。振り返ってみると確かにそうである。ただしオーブ本土の防衛限定。
カガリの不幸は戦闘センスとカリスマだけで政治センスの圧倒的な不足に対処しなければいけないということか。

各所で無能呼ばわりされるユウナの対応だが、オーブのモデルが日本ならどうなのだろう?
ユウナの行った「政治家は方針だけ決めて、軍事の細かいことには口を出さない」というのは近代国家の鉄則なのではあるまいか。
今回のようなケースでは防衛庁(オーブの国軍)が何通りかの試案を用意しているべきで、ユウナの命令がなければなにもできないというのはあまりに無能すぎる。ユウナが示した方針とは「ザフトの内政干渉の断固拒否」ではっきりしているはずなのだ。防衛軍は通常の防衛体制をとればいいのである。指揮をとれといわれてユウナが混乱するのも無理はない。ユウナはあくまで政治家であって、指揮官ではないのだ。(あくまで指揮官でしかないカガリとある意味対照的である)

むしろこの場合非難されるべきは、議長と直接交渉をしなかったこと、時間稼ぎをしなかったこと、あるいは国際世論を味方につけるだけの根回しをしなかったことといった政治家としての努力の問題なのではなかろうか。

なお、これまでにユウナが何度かトダカを差し置いて軍事に口出しするような描写があるが、ほとんどが政治判断であって今回のようなミクロレベルでの軍事対応でないことに注目。確かにユウナも調子に乗りすぎていることはあるが、だからといってユウナの指揮だけを待って職務を放棄しているソガもいかがなものか?
アークエンジェルにきてからのニシザワたちの活躍といい、オーブの公務員堕落の病巣は深い。


してみると、オーブの、カガリを神輿にしてユウナがしっかり政権を掌握するというのは才能の分業としては妥当ということになる。
が、この役割分担に生理的に抵抗がある人間が多いであろうことも事実。やはり政治家にとってイメージとは最重要ということか。

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