とりあえず前回の感想でしっくり来なかったので何度か見返す。そしてついにSEEDの本質を悟る。

『個人の安全はただじゃない。とくに貴重品はしっかり管理しよう』

グローバル化が進む中で欧米式の「だまされたほうが悪い」という風潮はますます加速していくはずである。
本作品の中で無駄に大事なものを手放した人間たちのいかに多いことか。SEED冒頭のガンダム4機に始まり、フリーダムしかりエターナルしかりザフトの3ガンダムしかりグフしかり・・貴重品を管理できなかったヤツが巧妙に立ち回ったヤツに駆逐される。製作者の意図はともかく、これからの現代社会では必要な概念なのではないか。着想のポイントとは身近にいろいろ転がっているものである。




ガンダムSEEDデスティニー41話 リフレイン


<あらすじ>
アスキラ視点で見たデスティニー。


<みどころ>
前半アスラン、後半キラの独白の形で振り返る総集編。本編見てないとさっぱりわからない。

本日一緒に見ていた友人(予備知識ナシ)のいわく「鬱陶しいねコレ。」
たしかにロウあたりに「ゴチャゴチャいってんじゃねぇ!」とぶっ飛ばしてほしいと思うのは私だけではあるまい。

さて、見る前に
総集編に何を書けと?どうせSEEDってダイジェストだけ見てるとすごく面白く見える、とかその辺になるのだろう
と書いていたのだが、

ダイジェストでもどうしようもなくつまらなかったのはともかく今回意外にも、アスキラの本質に迫る重大な発見があった。


まず前半、アスラン。人生や世界に対する姿勢もさることながら、ポイントは彼の認識。
彼が議長からもらったものは、フェイスの資格とセイバーガンダム。「自由にしていい力を与える、好きにしろ」と言われているのだ

ところが彼の独白を聞く限り、彼はザフトの凄腕の戦士として議長の夢のためにその身を投げ出したに過ぎない。
つまり、フェイスの資格に対する基礎知識というか認識が丸々欠けているのである。

また、今回の独白で振り返ると彼の世界認識、政治感覚、いずれも貧弱である。彼自身が調べた痕跡もない。そうできる立場も権限もあるにもかかわらず、である。

アスランは自分が何を持っていて、何を望んでいるのか把握していたのだろうか?

議長が悪役、とすれば一言で片がつくわけでもあるが、どうなのだろう。往々にしてあることなのだが話し手が当たり前だと思っていることはもう聞き手にとっては必ずしも当たり前ではない。つまり議長にしてみれば「政治家の息子だし優秀な人材だからフェイスの価値とか使い方などは当たり前にわかるだろう」というつもりで託し、アスランの『誰かの下にいるときにしか力を発揮できない』という本質を見ていない。

一方でアスランは自分がわかっていないことをわかっていない。議長が言ったことだから正しいと考え、自分自身で考えろと言われている意味そのものを理解していない。

つまり、お互いがお互いを過大評価していた可能性である。むろんこの話はそこまで深くは考えていないのだろうが、こういうすれ違いは往々にしてあるのではなかろうか?

卑近な例でいうと、教師が「何でもわからないことは聞いてください」と言っているときに、大半の生徒はそもそも何を聞いていいのかわからない、というあの状態である。


後半は代わってキラの独白。
キラの葛藤?が語られている。れいによって抽象的で何を言っているのかさっぱりわからない。
福田監督にしてもそうだが、戦争の原因を知りたければ歴史書なり戦史を読めばいいのである。
この番組を見ているととりあえず、スタッフがそろって社会科の点数が低かったのだろうなということははっきりわかる。

で、キラの問題であるが、アスランの基礎知識に対し、こっちは自己認識
キラの独白の随所に感じられる『僕たちの行動は何なのか?何をしたらいいのか?』という疑問の半分はあの世界でもニュースとか新聞を見ていればすぐにわかるはずなのだ。現にグラスゴーは『テロリスト』という言葉を使っているわけで。
つまり彼は『自分が人からどう見えるか?』ないしは『社会の中で自分の行動がどういう意味を持つか』という意識がないのである。彼がまだ高校生であるとはいえ、彼自身が決めた立場には責任が伴ってくる。実際に何人かの生死にも関わっているのに、これはあんまりではないか。

ともあれ、ラクスとしては『駒』のキラがあんまり自由な意思を持つのも問題なのだろう。

教育を含め情報にバイアスをかければ人民を操るのはさほど難しいことではない。どんなに優れた素質を持っていて情熱にあふれていても、いや、むしろそうした人間のほうが使命感に踊らされやすいということもある。こうした例は過去の大戦などにも見られるが、いわば『社会派』の行動やカルトに踊らされる一部の天才たちのようなものだ。常識が常識として認知されてきたのには理由があるし、自分の分を知るのは大事なことである。


強引にまとめると、
考える努力を怠れば人はすぐに安易な方向に流れ、道を誤る。そして自分の本質や、欲しいものすら見失う。
あるいは、
話し合いは確かに武力衝突よりも高次元で物事は解決できる。でもその前に仮定法の意味を理解できているかい?

思えば人の歴史とは常に『自分の未来を誰が決めるか』という戦いである。自分で決めるのは自由がある代わりに失敗の責任も伴う。一方、他の誰かに決めてもらえば安易だし正しいこともある。が、その分当然束縛も増える。そして絶対的な解もまた、存在しない。

我々は、どう生きればいいのか?

2度の世界大戦を経て人類世界が急速に変革しつつある激動の21世紀にあって、我々はどう生きればいいのか?
さすがはガンダムSEED、どこまでも高く、深い。



まぁ所詮アニメなんだけど。ていうかシン出せよ。


どうでもいいがインフィニットジャスティスがネオンダムに見えた俺って・・・



さて。私は基本的にガンダムが好きな人間である。種デスも応援している人間である。が、そろそろしんどい。
正直、先週のアカツキで本気で萎えた。福田監督を見ていると、人が人に嫌われる原理がよくわかる。アカツキの存在とか設定は、福田監督の作品を大事にしてくれる人間をバカにしているように見えてならないのだ。
シンのここまでの物語やアスランの葛藤、オーブの戦いぶり、つまり種デスのバックボーンになっているものを否定してないか?

番組の主張を見る限りでは、福田監督は組織にはなじめないようである(まともな組織人が出てこない&まともなチームワークがほとんど出てこない)。もしかすると組織の中でいやな思いをしてきたのかもしれない。個人の背景が作品に影響するのは仕方ないとしても、プロのクリエイターとしてはベストを尽くすのが仁義なのではあるまいか。

などと考えていたら新説。アカツキってもしやスケープゴート?つまり、この作品をダメにしているもののかなりの部分をアカツキは形にしてくれているのである。この作品に対する『やり場のなかった怒り』を一手に引き受けるのに、この設定とかプラモほどうってつけのものも珍しいのではないか。アンチの人はアカツキを買ってぼろくそに壊して製作サイドに送りつければそれなりにいいメッセージになるようにも思える。

ということで、


<けつろん
アンチはアカツキのプラモを買おう!

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