ごあいさつ
『SEEDデスティニーの完結とともにこのサイト活動を終え、ガンダムからも卒業する。』
そう心に決めたのは8月の終わりだったと思います。ガンダムに本格的にはまったのはZのときからで、私を現実の戦場に駆り立てるほどの影響力を持ちました。
それから20年、Zのリメイクを見ても何も感じなくなった私がいます。事実上の『卒業』ということでしょうか。
自分でした予告に首を絞められ、だいぶ長引きました。区切りにあたるこの時期に本編の最終回をやってくれるのは僥倖というほかありません。
毎日ちょくちょく覗いてくださった皆様、これまでご支援くださった皆様、本当にありがとうございました。
今回をもって、ガンダムに携わる活動の区切りとさせていただきたいと思います。
ガンダムとはなんだったのか?最終回前後からよく考えました。
ファンの方にとっては重い問いかも知れません。僕は一言で現代の冒険ロマン、と結論付けました。
ガンダムはぱっとしない少年を大冒険に誘ってくれる夢のマシンです。
世界観。
地球時代にヒトが夢見た無限の大海原や大空は足の立たない宇宙という空間にスケールアップ。漆黒の闇には母なる青い地球が浮かび、圧倒的な大きさで人工の大地・スペースコロニーが迫ります。雄大でリアルな世界観にソレっぽい宇宙軍。まさに血湧き肉踊る未来の冒険世界。
一方で、人間ドラマ。
ロボットアクションとその中の戦士たちのドラマは秀逸でした。心をぎりぎりまできしませるカミーユ、ジュドー。葛藤を抱え、ぶつけ合うシャアとアムロ。刹那に燃やす命はそのまま、僕自身のテーマになっています。
なにより、全編を貫くシビアさ。スピード感をともなったリアリティの追求、虐げられた閉塞を鮮やかに打破するガンダムという美しい変身装置。命ぎりぎりの限界バトル。全編に漂うそこはかとない悲壮感。そして、この中には恐らく狂気の要素も混じっています。戦争が起きるくらいに歪んだ世界にさらされ続けた多感な少年の全員が、マトモでいられるはずがない。
『近未来でも待っているのはシビアな現実。でもヒトは立ち向かえる。』ガンダムにはそうしたテーマも込められていたように感じます。このシビアなリアリティこそが、ガンダムを子供向けのアニメや変わり者の妄想以上のものに押し上げた魅力ではないでしょうか。同時に、花のある(女性受けのいい)才能を持たなかった文学少年(オタク少年?)に非常に現実味のある夢を見せてくれる装置としても作用したと思われます。
目立った運動能力のなかった僕も、ガンダム世界の方向に夢を膨らませたように思います。とくに小学校の終わりに見たZは鮮烈で、僕が戦争への問いを人生の研究テーマにするようになったのはガンダムの影響、といっても過言ではありません。
年月とともにガンダムもぬるく感じるようになり、SEEDまでは数年のブランクがありました。
SEEDは二つの意味で鮮烈でした。フリーダムとラクス。かたや『今まで見た中で最もかっこいいロボット』、かたや『理想の大戦略家』。偶然とはいえこの二つが生み出されただけでも、SEEDは僕にとって存在価値があったと思います。このため、デスティニーでキラとシンが戦うという話を耳にしたときには期待はいやがうえにも高まりました。
SEEDとデスティニー、両作品の内容については今更述べるまでもないと思います。上述のガンダムの魅力に当たるものが効果的に描かれていたようには感じません。主人公たちは何を得て、何を残したのでしょうか?そもそも、まず作り手(いわゆる“夫妻”)が自分自身の仕事にこだわる姿勢があったのか、不快感とともに強い疑問を感じます。
とはいえ、問題はSEEDだけにはとどまりません、ガンダムアートや新訳Zを見ていると、ガンダムはすでに僕が好きだったものとは別物になっているように感じます。ガンダムが僕に見せたもの、それは壊れていく世界の中で圧倒的な不条理に対して足掻く命の群像です。
宇宙世紀は動乱の時代です。生活こそ一見近未来風ですが、戦争にしても現実にしても、いや生きることそのものが戦いで、弱いものやスキを見せたものは否応なく退場させられるシビアさがあります。だからTV版Zでのカミーユの狂気にも共感されうるだけのもどかしさや切なさがあり、自分を失うことなく勝ち取ったジュドーの未来に価値がある。
今のガンダムはどうなのでしょうか?
自分の加齢という要素を差し引いても、どうも“毒気”を抜かれてしまったように感じられてなりません。新訳Zやインタビューなどを散見すると、恐らくは富野監督の情熱のありようそのものが変質してしまったのではないでしょうか。
ですが、ガンダムSEEDデスティニーという作品に特別の愛着があるのも事実です。
不条理に憤り、努力してエリートの座を勝ち取ったにもかかわらず、惨めな敗者にされてしまったシンという少年。彼には特別共感ができました。また、政治家というファクターが曲がりなりにも複数登場し、ガンダムではあまり目にすることのなかった『世界戦略』が展開される舞台。そしてラクス・クラインという不世出の奸雄。要素だけなら満載です。
およそ貧弱な描きこみしかされていないキャラクターたちの人間像、ないしはその智謀の全貌に対し、表面に出ている情報を再合成して命を与えていくという行為は、常にワクワクするものでした。この点、デスティニーはエンターテイメントではなく一種の歴史現象で、僕が感じていたのはむしろジャーナリストや歴史家としての喜びであったように感じます。
毎週末はレビューを前提に予定が立てられ、土曜の夜というゴールデンタイムは当たり前にガンダムに費やされていました。クリスマスもデートよりもまずレビューありき。『天空のキラ』の際に週末が丸々つぶれてしまったことも、今となっては良い思い出です。これほど入れ込んで文章を書いたのも、テレビを熱心に見たのも、初めてになります。ガンダムでこれまで得たものを今年1年かけてデスティニーに対して放出した感があります。
年末スペシャルの中で『最終決戦』と『議長の戦略』について特集すると告知していましたが、FINAL
PLUSの終わりのあとでは蛇足であり、恐らくは需要もないと思われるので、まことに勝手ながら、きれいにまとまっているSpecial
Plusで終わりにさせていただきます。
とはいえ一度約束したことです。どうしてものご要望があればメールなりサイト更新の形で対応させていただきます。
今後ですが、デスティニーに特別の愛着があるだけで、ガンダムにはそこまでのこだわりがありません。今回のSPで出し尽くしたので更新は予定していません。
ですが、僕の中でガンダムが大事なものだった事実もまた、ずっと変わらないものだと思います。書きたい何かを見つけたら、そのときはまたご挨拶してゲリラ的に書かせていただきたいと思います。いってるそばから3作目の情報が出てきました。やるとすればデスティニーのときと同じようなペースでやると思います。大変心身を疲労させる作業ですが、年末SPが予想よりかなりマシだったのでちょっとだけ迷っています。
このサイトを見ていてくださる方はおそらく、ガンダムに何がしかの思い入れやこだわりがある方が多いことと思います。デスティニーにも何かを期待されていて、無駄とわかりつつどうしても見てしまった方も多いのではないでしょうか。そうした皆様に僕が面白いなと思ったことが伝わって、本編の時間を少しでも有意義に感じていただければ幸いです。
更新が遅くなりがちだったり、本文にたまに誤記が混じっていたりと、いろいろご迷惑をおかけいたしました。
ガンダムを通じて皆様と時間や思いを共有できたことが一番の収穫でした。おかげさまで楽しく、いい仕事をさせていただいたように思います。
趣味の駄文に最後までお付き合い、本当にありがとうございました。
2005年12月29日 管理人