ミーア・キャンベルの最期(4)
09:審判の日
ヤノアリウス・コロニー群の一基。インフラが機能しなくなったコロニーからの難民用に使われており、千万を越える人間がひしめいている。
ミーアの慰問行の締めくくりはこの場所である。コロニーひとつを巨大なホールに見立て、自由参加型のチャリティライブを行おうというものだ。
コロニーの各所にはテレビカメラと音響機器が設置され、全世界に同時中継される。会場となるコロニーへのシャトルも多数運行し、“まつり”はプラント国家ぐるみの様相を呈しつつある。
『ここから歴史が作られる。』
もはや世界の共通認識であった。人類のほとんどすべてはミーア・キャンベルを通して出る“なにか”を無視することはできなくなっている。
わずかな例外があった。会場のあちこちに紛れ込んだ300名ほどの人間たちである。
彼らはミーアに“惑わされない”だけの強固な意志を持っていた。強い使命感を持ち、“できる”人間たちでもある。目的はコンサートではなく、したがってミーアのファンでもない。
巧妙に群集に紛れ込んだ彼らはゆっくり、しかし着実に、与えられた任務をこなしていった。
ある者たちは舞台上を狙撃するベストポイントに占位し、別の一群は突破口確保のために駆け、また別のある者たちは通信線の確保に、せわしく。
ザフトの警戒網は決してまずくはない。むしろ最良に近い。それでもこの一団がここまで浸透しえたのは、組織者が優秀だったからに他ならない。
この時期彼らとザフトは水面下で全世界的に激突しており、その意味でも歴史はまさにこの地点に集約されていたといえる。
そしていま一人、この認識と無縁の境地にある人間がいる。ミーア本人である。
いろんなことが怖かった。いままで。私は臆病だから。
でも、もう違う。私の大事なものは今日で壊れる。これが現実。
夢は覚めて現実に戻る。今日。
“行かなくちゃ。”
ラクスとしても、私としても。
それが、私が私であること。
手はまた握られていた。この手に握られたもの。ユウキ。
ラクスさまは勇気をくれた。私の中の大事なもの。私の手を引いて、こんな素晴らしい世界を見せてくれた、勇気。
・・・・・・だから。
今度は、私が勇気を返します。ラクスさまから預かっていた大事なもの。
みんなが元気になってくれました。いっぱい笑ってくれました。
私も、いっぱい笑って、自分が好きになれました。
だから、私はもう大丈夫。私はミーアに戻ります。
ラクスさまの勇気、お返しします。
みんなが待っています。
私の全部、ありがとうも憧れも全部ぜんぶ、今日でラクスさまにお返しします。
外の熱狂が伝わってきます。集まってきてくれた人たち。1136万人だって。どこまでも人でいっぱい。コロニー中が熱くなったみたい。
もうじき日が暮れます。コロニーの中でも夕日を背負うって、ちょっとロマンチック。
ここにつまったみんなの思い。みんなの希望。
ラクスさま。
みんな、待っています。
ここにふさわしいのは、やっぱり、ラクスさまです。
これからステージ3時間。アンコール何回するんだろう?何回でもやってやる!
私のすべてをぶつけて、みんなのために。ラクスさまのために。
そして、私のために。
こぶしをひとつ、キュッと握りしめる。
私のラクスは、今日でさよなら。
いくよ、わたし!!
10:風
不思議な静寂だった。しわぶきはないが、水を打ったような静けさでもない。千年紀のカウントダウンのような押し殺された熱気である。
人々は世代や立場を超え、彼女を待っていた。時代そのものが待っていたと言うべきなのかもしれない。
ミーア・キャンベル。
世界はその風だけを待ち望んでいた。
少女がしずしずとその場に現れたとき、静寂がどよめきにかわる。さながら津波のごとく。コンサートの始まりである。
薄く化粧をしたミーアはまさに大輪の花そのものの装いであったが、決して派手すぎはしない。
あるものはそこに女神のイメージを重ね、別のあるものは天使を見た。イメージの持ちようは異なるものの、この場にいる人間に共通する認識がある。
このとき、その少女は確かに神々しい雰囲気に包まれていたのだ。
音も、熱狂も、1100万の人間の声までもが和音となり、あらかじめ予定されていたかのように調和する。コロニーそのものがひとつの楽器だった。
この壮大な命の合唱はまた、戦に飽きた人類の渇望の声でもある。
少女はただそこに在った。そこに在って、目の前の現実に自分のすべてをぶつけた。
天賦の才を持たないミーアの精一杯であり、逆に言えばここで魂をぶつけられることこそが才能でもある。ミーアはただ、ミーア・キャンベルであることに正直だった。
弱さを知る人間の真摯な思いだから共感を呼ぶ。ミーアの“神性”の正体とは彼女を通してフィードバックされた人々の思いに他ならない。
この“同じ目線での共有”こそがラクスがついに持ち得なかったものであり、ミーアをはるか高みに押し上げた風の原動力である。
この瞬間、ミーア・キャンベルは名実ともにラクス・クラインを超えた。
ミーア自身は、といえばすでにトランスに近い境地にある。
コンサートは文字通り、彼女に命を最後の一滴まで振り絞らせた。
多くの過去がバラバラに去来し、夢を見ているような感覚。いや、これが夢か現なのかの区別も既についていないのかもしれない。
フラッシュバックはミーア自身の生い立ちに関わるものであったり、ラクスに関わるものであったりする。つまりはミーアの存在に関わるもののルツボである。
聴衆と思い出たちとは並列に存在し、幽玄のギリギリを閃光が駆け抜けてゆく。
一連のうねりはしかし、“彼”にとってはどこか別世界であった。
“彼”の任務は音の源、つまりミーアの除去である。目標がどういう存在かは十二分に把握していたが、知った段階ではなにも特別な感情は抱かなかった。逆に言えば、抱かないからこそ“彼”が選ばれたともいえる。
方法もタイミングも指示がされていたが、なぜそれが必要なのか、それが何をもたらすかといった全体像の説明はない。これまたいつものことだ。
“彼”は道具である。自分でもそう任じていた。名すらない。その都度その都度別の何かになり、役目を果たす。いわば“しのび”である。
といって、仕事に思い入れがあるわけでもない。ただ生き、ただ死んでいく都合のいい歯車。周囲にはそう見えているはずである。
“彼”が本当は何者であるのか、どういう人間でどのようなプライベートがあるのか、それは“彼”だけが知っていればいいことであった。
工作員と権力は切っても切れない。地上に権力が誕生してからこのかた、彼らの需要がなくなったことはなく、“彼”の同僚や先任者たちも黙々と仕事をこなしてきた。
暗殺であれ破壊工作であれ、人類が地上に這いつくばっていた頃から連綿と繰り返してきたものの繰り返しでしかない。
今回の任務もしかり。それがたとえ人類にとって損になろうと、機械として任務を完遂する。彼らに求められるのはその正確さである。
“彼”もまた、何の感傷も抱いていない。ただミーアという少女を視界におさめ、手順を確認しただけである。
周囲の熱狂とは裏腹に、2時間が粛々と流れていった。その熱気はどこか心地よく、羊水のように“彼”をも包んでいた。が、それはそれと割り切れる非情さをも併せ持つのが“彼”である。現に“彼”はそういった相手に対しても躊躇なく仕事をしてきた。今回のケースもまた、“実績”がひとつ増えるに過ぎない。それだけのことである。
そのとき、その瞬間。“彼”は予定通りの行動に移った。
構えた照準の中央にミーアがいる。引鉄の重さが、そのまま歴史の重さである。
11:泡沫の夢
すべてがものすごい速さで通り過ぎていく。気がつくと2時間。
全部覚えてる。でも無我夢中。みんなの顔がはっきり見える。顔を見るだけで出会いの全部が浮かんでくる。あの人、コンサートで花束くれた。あの子、目が合うと恥ずかしがって下向いちゃったよね。あの女の人またきてくれたんだ・・・。
疲れてる。でも疲れてない。完全燃焼?
ここで、MC。トークで言うこと、決まっている。何度も何度も練習した。
「・・・・・みなさんに、お伝えしなければならないことがあります。」
なんでだろう?涙が出てきた。あふれてくる。オモイがあふれてくる。
みんな、みんなありがとう。今日までありがとう。
こんな私を応援してくれて、ありがとう。
「私は、じつはラクス・クラインではありません。」
光。光が見えた。ただ光だった。
すべてを包み込むような暖かい光。素直になれる。
光に向かって、ミーアは微笑みかけた。
目線の先、一直線に500メートル。
そこに、“彼”がいた。
「私の名前は、ミーア・キャンベル・・・・」
風が吹き抜けた。やわらかくてあたたかい、風。
カラダがふわっと軽くなった。飛んでいるみたい。
話し続けた。怖かった。でも。言わなくちゃいけない。勇気を出して。
私は、私に戻るんだ。
ザワザワが消えていた。みんなが私を見ている。私がラクスじゃなくても、みんなが見ていてくれる。私を私として、見ていてくれている。
涙がどんどんあふれてくる。みんな・・・みんな、ありがとう。
ラクスさま・・・アスランさん・・・議長・・・サラ・・・・パパ・・・ママ・・・・
真っ白な光。まぶしい。
ゆらゆら揺れてる。どこ?
ああ・・・そっか。ここ、プールの中だよね。議長にしばらく隠れてなさいって言われたんだ。
長い長い夢を見ていた。私は水の中。でもここ、あったかい。プールってこんなに心地よかったっけ?
水から出なくっちゃ。まぶしい太陽のあるところに。
手足をバタバタ動かして、もうじき水面に手・・・が・・・・届・・・・・く。
ハッキリ、わかった。私はあのとき、月のプールで死んでいたんだ。
ほんの少しだけ長生きさせてもらえて、夢を見ていた。思いっきり駆け抜ける、夢。
手を開かなくちゃ。いっぱいに開かなくっちゃ。抱えきれないくらいの光が、ここにあるから。
「ありがとう。」
私は、私を好きになれました。
泡がそこで弾けた。泡だったものは風に包まれ、やがて淡い香りの中に溶けていった。もう桜の季節だった。
12:祭の終わり
“彼”のちいさな視界の中、まるでずっと前からの運命だったかのように、その少女は立っていた。“彼”の方を見て微笑んだ。目線が重なった。
見えているはずはない。だが、確かに少女は“彼”だけを見ていた。“彼”は初めて気圧された。
少女が婉然と微笑んだ。覚悟を定め、全てを受け入れるかのように。
電流が走り抜けた。意思を離れたところで指が動いた。動いていた。
少女は変わらずに立っていた。微笑みを浮かべたままだった。
『ミーア・キャンベル』という音がはっきり聞こえた。聞こえたまま焼きついた。その続きを発することのないまま、少女は静かに、何かがするりと抜けていったかのように崩れ折れた。
“彼”はしばらく放心していた。やや後になって、自分が撃ちたくなかったのだ、ということに気がついた。
手はまだ銃把にかかっていた。恐る恐る開いた指がある点で止まる。狙撃後にいつも感じる重さとはまた別のぬくもりが残っていた。
それもまた、初めてのことだ。
「ラクス様が殺されたぞー!!!」
「議長だ!!!議長の差し金に違いない!!!」
唐突に複数の声がした。やけに遠かった。“彼”の同僚たちだろう。あちこちから反響が起こり、群衆がステージに殺到する。銃声が怒号に混じる。
見る見るうちに大混乱になった。意図的に起こされた混乱である。人込みにまぎれた一撃が的確に警備の人数を減らしていく。
加速する阿鼻叫喚はしかし、“彼”にとってはもはや他人事でしかなかった。背中を向けて歩き出した“彼”は自分の本当の名前を改めて噛み締めていた。もう捨てる気にはなれなかった。その意味で、名もなき“彼”はミーアの“ラクス”と相討ちになったのかも知れない。
消えることのないぬくもりを抱いて、男の影はいずこかへと消えていった。
『ミーア・キャンベル暗殺さる。』
『現地では暴動が発生。』
『暴徒は議長と現体制を糾弾しつつ増加。現地戦力では抑えきれず。』
『詳細な状況不明。報告が極めて困難。』
情報が続々と入ってくる。
蜂の巣をつついたような騒ぎの中で、ギルバート・デュランダルは完全に世界から切り離されていた。彼の中で“希望”が崩れるのはこれが2回目である。が、今回は更に事態が悪く、夢とともに仲間たちもまた死に絶えつつあった。
今しなければならないことは山ほどあるのに、心がなかなか戻らない。涙も嗚咽も止まらなかった。何が悲しいのかすら理解できなかった。子供のように泣いた。止められない悲しみの中で、彼は自分に豊かな感情があることを久しぶりに思い出した。その感情の海におぼれてしまいたかった。やがて彼が死に遅れたことが明白になった。深い孤独が容赦なく何度も何度も彼を襲い、最後に絶望的な虚無へと突き落とした。
「これで山は越えたね、ラクス。」
気丈な恋人にキラ・ヤマトはそう声をかけた。ラクスはここ二日満足に寝ていないはずだった。
暗殺は絶妙のタイミングで成功し、各所に散っていた工作員がうまく暴動を仕立て上げてくれた。
ミーアの本名と経歴は最初、悪意を持って暴露された。やがてギルバート・デュランダルがいかに彼女を利用し、使いつぶしたが“究明”されると、今度は一転して悲劇のヒロインとして扱われるようになった。一連の流れはもちろん偶然ではない。
混乱の中でザフト軍は無力だった。魂が抜けたようにすべての動きが止まり、エターナルの電撃的な強襲で一方的になぎ倒されていった。ギルバート・デュランダルですら満足な抵抗を示さないままあっけなく討たれ、ラクスたちは完全なる勝利者としてこのアプリリウスに入城している。
キラの気遣いにラクスはええ、とだけ言った。膨大な戦後処理のせいかクマができている。が、その笑顔は健在で、むしろキラの方が癒されている。
「キラもお疲れになったのでしょう?」と言われ、ちょっとね、と苦笑しながら答え、ラクスの横に静かに腰を下ろす。
肩がくっついたまま、しばらく時間が流れた。重なる鼓動がたまった疲れを溶かしてゆく。
「・・・これで、よかったのかな?」
「なにがですか?」
「あの子が死ななくちゃいけなかったのかな、って時々思うんだ。あの子は・・・・」
ふっと、言葉が見つからなくなった。確かに制圧戦でかなりの血が流れていたが、また違うやるせなさがある。
「・・・あの方は」
目線が絡み合う。
「あの方は、ステージで死ねて満足だったのではないでしょうか?
最後まで精一杯生きて、あの方は神になったのです。
・・・・・・・私も手の届かない、神に。」
ラクスはいつしか遠い空を見ていた。アプリリウスの人工の空だ。しかし、このときの空はどこまでも深く、どこまでも青かった。
彼女が心に秘めた“少しうらやましいですわ”というやや羨望交じりの音も結局、誰にも気取られないままに消えていった。
再び見つめあったとき、ラクスはいつもどおりの笑顔をたたえていた。無垢そのものの、気持ちが洗われるような笑顔。こういうラクスはキラにとって心強く、そして、たまらなくいとおしい。
『この笑顔を僕が守っていくんだ。これからも、ずっと。』
心で深くうなずき、キラ・ヤマトは決意を新たにした。
これからの世界にこそ、本当のラクスが必要とされるのだから。
( 『ミーア・キャンベルの最期』 了 )