前回いみじくも「ジブリールを逃がすと取り返しのつかないことになる」との発言があった。

発言者がやられ役のおっさんだったので完全にスルーされたが、シャレにならない結果になってしまった今回。

できることはできるうちに、そう、たとえば夏休みの宿題は早めに片付けておかないと後が怖いのである。





ガンダムSEEDデスティニー44話 二人のラクス


<あらすじ>
ジブリールの最終兵器『レクイエム』がザフト本国を痛撃。

 

<みどころ>
事前情報で『物語の山場となる』と言われていただけあって、今回こなされたイベントは実に多い。

 

@ラクスとミーアの直接対決

Aネコ男の最終兵器・レクイエムの発動

B2を受けた上での各勢力の宇宙に上がるまでの動機付け

C議長の真意・デスティニープランの暴露

 

大イベントが目白押しにもかかわらずまったくそうは見えず淡々と話が進み、肝心のピンク二人も前半数分で終わった今回。

演出とか脚本のせいだ、という事実に基づいたきわめて正確な不満はあえて脇において、ここでは額面通り「二人のラクス」を軸に流れを追いかけてみる。

 

 

1:二人のピンク

まずは製作サイド側が伝えたかった方の意味での対決、つまりメディア対決。

 

今回のラクス、「私が本物です。私は議長を支持しません」としか言っていない。カガリに至っては何を言いたかったのかすらよくわからない。前回さんざん勿体ぶった“引き”にしていたにも拘らず、である。演説があのあとどうなったのかは本編では描かれていないのだ。デスティニープランについて言及した形跡もない。あるのはただ、二人のラクスという週刊誌ネタになぜか大騒ぎする世界市民の姿である。

 

CE世界の人間はテレビに流されやすい。演説で議長をノックアウトするのは十分に可能なはずだ。なのになぜ、ラクスほどのやり手が押し切らなかったのか?

 

ラクスは議長と論戦になった場合、現状では分が悪いのではないか?

政治家ラクスの恐るべき強みは彼女本人が矛盾していないことである。議長相手に論戦をする場合、『ではこの現状にどう対処したらいいのか?』という問題が必ず焦点になる。この点に関して、ラクス自身が本編の後半でレクイエムを前に『現状を変える力は私たちにはない』と告白している。論戦になればウソをつくか、敗北宣言をするか、いずれにしても得策ではない。

 

彼女が議長相手に戦えるのはあくまで「私の名前騙るなコノヤロー」というところまでなのである。

(だから『議長という人をもっと知る必要があります』以降がうやむやになっている)

 

今回の演説にしても、普通なら議長にはダメージがほとんど当たらない。

前作でラクスが陣羽織を着て戦っていたことを知っている人間はごくごく少数のはずだし、前作終盤では彼女は音声によってしか露出していない。普通に考えれば『なじみのあるラクス』はミーアである。カガリ側のラクスは外見の時点でアブナイ女性だし、発言内容もかなり微妙。オーブの政情も考えるなら、何を言おうと聞き手が真に受けさえしなければワイドショーネタのようなものでしかないカリスマにしてもザフト限定だから、そもそも正体すらそんなに大事ではない。百歩譲って大事だとしても第三第四の『便乗にせラクス』でも立ててしまえば容易に陳腐化できる。

 

ここにラクスのしたたかさがある。ラクスはハナから演説が狙いではなかったのではないか?

ミーアもラクスも共に電波ジャックをしているが、大きな違いがある。ラクス側の画面では右下にミーアが映っているのだ。つまり視聴者が双方を同時に見ることができる

ミーアの演説は言いっぱなしであるが、ラクスは討論ドンと来い、ということでもある。

 

その結果、二人の『対比』という画(構図)がいやでも全世界に見せ付けられる。

この構図こそ、ラクスの真の狙いだったのではないか。今回のような演説では話の内容より、動揺するミーアの方が強烈に印象付けられるように思えるのだ。

 

つまり今回のラクス演説、最初からミーア・キャンベルという一個人だけに的が絞られていたのではあるまいか。

自分をしっかりもっていれば、あるいはいっぱしの政治家であれば余裕で聞き流せるはずの内容でも、付け焼刃のアイドル・ミーアには効く公算が高い。ニセモノを騙っている人間であるし、人物像の情報もそれなりに流れていることであろう。ミーアの精神はあまりにも、脆い。

そう考えると前回のラクスの『もう迷いはありません』発言も納得がいく。哀れな代役は文字通り引導を渡され、議長は強力な手駒を失ったのだ。

 

 

 

 

2:ミーア・天の時

かくして悲劇のヒロインへ奈落まっさかさまのミーア。議長にも『もう使えない駒』とみなされ、過去形で話される始末。

しかし、彼女は本当に『使えない駒』なのだろうか?

 

今回の展開、ミーアにとってはチャンスの宝庫だったのではないか。

まずテレビ討論。ラクスが仕掛けた根拠は『ニセモノ相手なら論破できる』という見通しである。


たしかにミーアには“私は所詮代役”という劣等感があるからクリーンヒットした。だが、実際どうなのだろうか。
芸能活動としてならミーアにはもうかなりのキャリアがある。場数や動員数ならラクスを上回っているかもしれない。実際に舞台に立っているのだから、聴衆の熱狂が『形』に向けられたのか『中身』に向けられたのか、そして後者の人間が確実に存在することもわかるのではないか。(胸の違いとかなんで気がつかないのだろうと気が滅入る点も多々ありそうだが・・・) 

ともかく、彼女は“歌姫”としてラクスに十分張り合えるはずなのである。

 

テレビで先手を取られたにしても、それは決定打ではない。

ミーアが議長に「そんな!私は議長と世界の平和に命を捧げたんです。今攻めれば勝てますッッ!!」とでも一喝していればラクスを超えることは可能である。

この時点では大衆はまだ最終的な結論を下してはいないし、どちらが本物かを彼らが事実によって検証するのは不可能なのだ。先に負けを認めたほうがニセモノ認定されるはずなである。そしてこの条件、ミーアにとって必ずしも不利ではない。

 

たとえば、この段階ではミーアがラクスのことを先にニセモノと決め付け、あちこちのメディアで糾弾するのは非常に有効である。議長が後ろ盾なので勝算もそれなりにかなり高いはずだ。少なくとも無駄な行動ではない。徹底抗戦あるのみだったのではないか?

 

加えて、天佑とも言うべき恐るべき僥倖がある。

今回、プラントへレクイエムが直撃、かなりの被害を出している。ここで慰問をすれば、たとえ“ニセモノ”だとカミングアウトしても一気に巻き返せるのではないか。

ミーアはただ現場に行って「だましていた償いに歌います。私の声で皆様が希望をもてるなら」と力の限り歌うなり、施設を訪問して回るなりすればいいのだ。“ミーア”のファンが増えるはずである。

都合のいいことに、ネコ男を野放しにしたことについてはカガリ、つまりラクス側に明らかな責任がある。

 

ミーアはミーアとして、持っている力を使って前に踏み出せばいいのだ。今ならば彼女の声は人心に届きやすい。つまり、“ミーア”としてラクスとガチンコで戦えるのだ。

生きていれば決定的なチャンスというものが何度か存在するという。ミーアにとって、今このときこそが“天に愛された時”ともいうべき局面なのではあるまいか。

つづく

 


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