ミーア・キャンベルの最期(1)


00:着床

「ラクス様・・・・?」
おずおずと、かなりためらうように話し掛けてきたその兵士は、私よりも2つか3つ上に見えた。こっちが落ち着かなくなるくらいに腰が低くて、その分だけ私はなんだか気持ちがホッとした。

ちょっと前までなら、あたりまえだった光景。
私は世界的アイドルにして平和の象徴、ラクス・クラインだったのだから。
みんながかしずき、世界は私のために動く、それが当然。
それが普通じゃないのはどこかでわかっていたけど、認めたくなかった。
いま、私が逃げていたその“ウソ”が、カベになって私を追い詰めている。

私はニセモノ、フィクション。
私の名はミーア。私はラクスなの!と強がる、“だれでもない”ニセモノの存在。
白々しいウソの中で生きる、いや、生かされてる、ニセモノ。


普段なら、「何コイツ?なれなれしい」、とでも思うのだろう。昨日までの私ならそうだった。
この兵士、いかにもダサくて、あからさまにイモ。どーせ彼女もいなさそう。いわゆる真面目クン。
つまり、今までの私が一番バカにしていた人種。
でも、その純粋さが、今は、うれしい。

サインしてください・・・と彼が差し出したのは、いかにも大事そうな手帳だった。多分IDに関係するものなのだろう。
「ラクス様のライブ、行きました。ディオキアで・・・」
彼の言葉、なぜか心に残った。ずっと後で思うと、あの時彼だけが“心”のこもった言葉を投げかけてくれた気がする。
他愛のないライブの感想。よかったです、感動しました。うんざりするくらい聞かされた言葉。

でも。

「あのライブで、僕は・・・いや俺は勇気をもらったんです!
あんなことがあってつらいでしょうけど・・・その・・・がんばってくださいっ!!!」

トムと名乗ったその人の言葉は、私のとても深いところに、ストンとおちた。
閉ざされた私の冷たい世界の中で、そこだけ、熱かった。
そのときの私は、なぜそう感じたのか、まったく理解できなかった。

私はミーア・キャンベル。
ウソで塗り固めた世界の、ニセモノのお姫様。



01:醸成

水の上。私は浮いている。なにともつながっていない、今の私みたい。
見上げるのは青い空。月の街コペルニクスの空だから、ニセモノだよね。

ニセモノのなか、ひとりぼっち。ハハ、私そのものじゃない。
いつかは壊れると思っていたニセモノの栄光。ニセモノの世界。
みんながちやほやする私は、じつはワタシじゃない。ラクスと言う名の私のカタチ。

私はミーア。ミーア・キャンベル。どんなに頑張っても、私は、ミーア。
誰にも必要にされない、いらない子・ミーア。

『おひめさま』の世界が必ず終わるのは知っていた。終わりが必ず来る。その影におびえた。怖かった。
いつも怖くて怖くて、そのたびに鏡を見て自分に言い聞かせる。私は“ラクス”なのだと。
憧れ抜いた人だから、それなりに自信があった。自分でもうまくやれていたと思う。

でも、いや、だから、画面にその姿を見た瞬間にハッキリわかった。彼女が“本物”なんだと。
終わりを予感してはいたけど、やっぱり、それはとても怖くて、“わたし”が崩れた。
一瞬で世界の色がなくなって、砕けた。吐き気がこみ上げて、宙に浮いたような感覚。自分がカタカタ震えているのがわかった。そのカタカタだけが、真っ白の中に残った。

それが、私の終わり。
本物と並べられたできの悪いブランド品よりももっと惨めな、私の“ラクス”の終わり。


空港で議長が何をしゃべっていたのか、何も覚えていない。聞こえてもいなかったと思う。聞くのはイヤ。聞く前にもう、あの人の目がすべてを語っていたから。

「キミはもういらないよ。」
あの人は笑顔でそう言った。私はよく知っている。見下している相手に薄っぺらい同情をするとき、みんなそういう顔で、笑うから。

私の世界は終わったのだ。もう誰も私を必要としていない。鏡の中の“ラクス”は歪んでいた。それが私だ。笑おうとしたけどダメだった。涙に崩れて醜い顔になった。

ゴム人形のような私。私が嫌い。誰にも必要とされないし、何もできない。
手首。細い手。傷つける勇気はどうしてもなかった。生きたいとも思えないのに。この世界も私も嫌いなのに。
そんなズルい私もいや。何もかもイヤ。イヤ、イヤ、イヤイヤイヤイヤイヤイヤーーーーー。

ふっと力を抜く。プールに体が吸い込まれる。このまま水に溶けて、なくなっちゃえばいいのに。
空が歪む。水で?涙で?
生きるつらさに比べたらって思って息を止めても、やっぱり、苦しい。
惨めな私。生きていたくない。でも死ぬのは怖い。怖いこわいコワイコワイコワイ・・・・・こわいよぅ。

たすけて・・・・・パパ・・・ママ・・・・アスランさん・・・・ラクスさま・・・・
もう、わからない。なにもわからない。私は静かに壊れていってる。サラもそれを望んでいるみたい。
私がなくなるのはこわいけど、でも・・・・・もう、楽になりたい。

ツライ。
もがくように伸ばした手を、水色が残酷に見下す。
きれいな青空。でも、色のない空。



02:発芽

ここに閉じ込められて、どのくらい経ったんだろう?
ものすごく長い時間のような気もするし、一晩しか経っていないのかもしれない。
投げやりな世界。どうでもいい世界。
もともと人に触れるのは怖かった。ニセモノでも、ないよりはましだった。そう、ないよりは。
なくなってしまって、どうしようもなく、怖い。息がどんどん詰まる。何かをしていないと、とても怖い。

30秒もしないで時計を確認する。カチ、カチっていう音だけでゾクゾクする。
このお屋敷には人がいっぱいいるのに、人形の家みたい。部屋が広いから、逆に、とっても怖い。
時計を見ているだけで気が狂いそうになる。泳いでもダメ。外出は禁止。ただ空を見つめていても恐怖だけがこみ上げてくる。
いや、見るものすべてが、怖い。

今のままで、時間が止まればいいのに。
誰もいない応接間。午後の日差しだけがむなしい。明るいのにあったかくないって、私の世界そのものだよね。
音楽もプールも心を冷たくするだけ。インターネットかテレビか、それか、ゲームか。みんなつけっぱなし。やりっぱなし。何もかもどうでもいいし・・・それに、そういうのをきちんと戻すと、生きているって実感できる。散らかしては片付けて、またやりっぱなしにして。

私は、どうして生きているんだろう?
私なんて、何のために生まれたんだろう?
生きてることなんて苦痛でしかないよ。
こんな世界、もう、いなくなっちゃいたい。

何で、私は、生かされてるの?


つけっぱなしのテレビで“それ”を見るまで、私はそんなことを思っていた。
緊急の大事件。どこのチャンネルもみんな、そろって同じことを言っていた。
「ヤノアリウス・ティセンベル消失。」
ナチュラルの攻撃だとか死者の人数とか、どうでもよかった。
あった場所がなくなって真っ暗になって、残骸だけが浮いている。
その現実だけで、私はもういっぱいいっぱいだった。

ヤノアリウスもティセンベルも、今回の災害に遭った場所、ほとんどは見覚えがあった。私のコロニーとはくらべものにならないような都会。憧れの象徴だった。
輝いていた時間。思い出。私をちやほやしてくれた人、ペンライトの渦ー。


『俺は、勇気をもらったんです!』

その声が直接響いたわけじゃない。
でも、ずっと時間が経った今思うと、どこかで思い出していたのだろう。

そのときの私はただ、拳を握り締めている自分に気がついただけだった。
被災者の様子、現地の様子が流れ、時間が少しずつ早く動き出す中で、私はただ呆然と立ち尽くしていた。
握る手の感触だけが、ニセモノの冷たさと別の熱を帯びて、私といのちをつないでいた。


つづく