ミーア・キャンベルの最期(2)


03:覚醒

ボディーガード・サラの任務は監視のほか、“利用価値のなくなった”ラクスの影武者にラクスと接触させるよう仕向けることがある。
彼女は任務に忠実であり、優秀であった。洗脳は効果をあげつつあり、ミーア・キャンベルの自意識は早くも2日で崩壊寸前であった。

そのときも彼女は慎重に言葉を選びながら、詐欺師が獲物を追い込むように、仕上げにかかろうとしていた。
“ターゲット”の反応はおおむね順調である。ニュースを見ても呆然として、何が起きたのかすらわかっていないようだった。
この小娘は声がラクスと同じという以外に取り柄がない。おまけに強烈なコンプレックスを持っている。それがサラの持つ事前情報であったし、彼女の直接の感触でも、この少女はやはり、他人の言葉でストレスをためて追い込まれやすい人間のようだった。

焦点の定まらないミーアを、サラは洗脳の完成と解釈していたのである。


実際、ミーアにサラは見えていなかった。
サラが見落としていた小さな変化、それはきつく握られたミーアの拳である。

ミーアの中ではものすごい勢いで無数の自問自答が繰り返されていた。

“私は何?”


彼女が半年近いライブの間に触れた人数は百万をゆうに超える。握手をしたりサインをしたり、あるいは笑顔に応えたり手を振ったり。
その多くは“ラクス”の虚像に向けられていたが、目の前の人間に対する好意も少なからずあった。
世界を“ニセモノ”と認識していたミーアの中でそれは極めて軽く、無意識に無視されるだけのものでしかなかったが、確実に心には届いていたのである。

多くの人間の顔がよぎった。ミーアの潜在意識は実に多くの記憶を刻み込んでいた。画像、音声、映像・・・。
SEEDと呼ばれるものはミーアにはない。だが、ミーアはごく普通に、“人間”の感情が飽和点を超えたときの反応を示した。

何度目かの対話。会話も上の空に下を向いてしまったミーアに、サラは畳み掛けるように語りつづけた。小刻みなうなずきや反応に、確かな手ごたえを感じた。
宇宙は人の生存には苛酷な環境である。生きるために人はかつてない規模の群れをなし、旧世界の米作地帯がそうであったように、没個性的な世界で疑問をどこかに投げ捨てていった。サラはプロであったが、彼女が直面していたのはそうした、心に牙を持たない人間たちばかりだった。そしてミーアは愚鈍そうな少女だった。ほんのすこしだけ高をくくっていたサラは当然のごとく、目の前の少女の中に急速に芽生えつつあるものを見逃していた。

「被災地へ行きます。議長と話をさせてください。」
ゆっくりと顔を上げ、凛として言い放ったその少女は、もう、サラの知っている“人間”ではなかった。
サラはあっけにとられたようにしばしフリーズし、やがて、まるでそれがずっと昔から決まっていたように、ミーアの命令に従っていた。

ミーア・キャンベルの時間は静かに動き出した。
それは、燃え尽きる命の刹那の輝きでもある。



04:伝播

テレビから、目がそらせなかった。
私がこわれた“あのとき”から、すべてを見るのが怖かったのに。画面の中のその世界には“色”があった。
血じゃなくて、恐怖でもなくて、ましてや悲しみでもない。あの場所、ふるさとでもない。

ライブした場所。輝いていた場所。私が“ラクス”だった場所。

―違う。

そのとき、テレビの前でそう思ったわけじゃない。ずっと後になったいま思い返して、違う、と思えるだけだ。
あのとき、立ち尽くす私を、“なにか”が突き抜けていた。それがわかる前に、焦りに似た感情が私を突き動かしていた。
『私は、何かをしなくちゃいけない。』

サラは怖くなかった。いや、どうしてこの人と話をするのが怖かったのだろう?とさえ思えた。私は何におびえていたのだろう。
ここは相変わらずよそよそしい。でも、もう怖くはない。もう・・・?
そういえば、怖かったんだよね、と、どこかで思った。

『いかなくちゃ。』



ギルバート・デュランダルは明らかに不機嫌だった。
ただでさえ多忙なときである。用済みのミーアにかまっている時間などはなかった。『ただ事じゃないようでしたのでお通ししました』という秘書官は強烈な不機嫌のオーラにさらされ、議長に3分の時間を割かせた自分の判断能力について激しく自信喪失しかけたほどである。

しかし、戦後も辣腕を振るうことになるこの女性秘書官の直感、決して外れてなどいなかった。
立体映像に対峙した直後、ギルバートの不快感は消し飛んでいた。思考能力までもが消え失せていた。

画面の“ラクス”、つまりミーアはただ淡々と、歌姫として被災地の人間のために勇気付けたい。それが私の仕事のはずだ、ということを述べていた。つたない表現ながらも筋は通っていた。が、理屈などどうでもよかった。半瞬で勝敗は決していたのである。
ギルバートが相対していたのは“聖女”そのものだった。


“聖女”とは『歴史に散見される、純粋な使命感に突き動かされて歴史を動かした女性(少女)たち』を総括した概念である。その意味ではラクスも“聖女”のはずだが、“そのミーア”はラクス・クラインともまた異質の“なにか”であった。なぜなら、決して埋まることのなかったギルバートの心の傷が、その瞬間確かに霧消していたからである。
ギルバートにはそんな自分に戸惑う余裕すらなかった。希望に燃える青年と同じようにただワクワクし、冒険の計画を立てるようにミーアの慰問を認可、段取りを手際よくつけていった。
そして、やや後になって何度かそんな自分を振り返り、苦笑を交えながらつぶやいたものである。

「ふふ・・・・捨てたものではない、ということもあるのだな。」

この時期の彼は心底楽しそうであった。その笑顔は本心からのものだったから周囲にも伝播し、ほんの短い間ではあったが、彼の率いる勢力のありようをも変化させた。
それは、彼を敵とするものたちが歓迎しないことでもある。



05:灼熱

ただ、空気がざわめていた。
初めてのコンサート、こんな感じだっけ。
・・・違う。今は・・・もっと・・・。胸が、あたたかい。全身がゾクゾクする。なんだろうこの感じ。風・・・?
シャトルの中でスタイルが整えられていく。私ができていく。わたし。あれ・・・・?

そのときの私は、しぜんに、できていく自分を受け止めていた。自信が作られていくって、こういうことだったのかもしれない。
ただ、夢中だった。無我夢中に、私は駆り立てられていた。

―行かなくちゃ。みんなに会いに。行かなくちゃ。

議長もサラと同じだった。ちょっとだけぽかんとして、すぐに目が輝く。この感じ、私は知っている。ライブでいやというほど知っている。
どうして忘れてたんだろう?こんなに大事なことなのに。
青い空。ざわめく風。

私は、生きている。



ギルバートの対応は迅速だった。すぐにシャトルが手配され、215分後にはミーアの現地入りが実現している。
『ラクス・クライン 被災コロニーを慰問』のニュースはプラント全市民の心に光を点し、地球上でもしかるべき大きさで扱われていく。
ラクス、つまりミーアのスケジュールは本人の希望通りハードそのもので、文字通り寝る間も惜しんで被災者の激励に当てられた。
公民館や体育館といった場所でも短いライブが行われ、ミーアがこなしたサインの数はこの慰問行で倍増している。
ミーアはどこにでもいた。「こちらが持ちませんよ」と苦笑しながらも、サラをはじめスタッフたちもミーアをよく支え、ピンクの歌姫は文字通りプラント市民の魂と共に在った。

一行を支配しているのは熱気を帯びた高揚感である。それはミーアの『自分は何のためにいるのか?』という無意識の問いに端を発していたが、時代の要求に合致するものでもあった。豊かさが満ちた時代に責任感や使命感、もっと突き詰めれば『他人のために体を張って何かをする人間』は極めて少なかったのである。心の穴を議長の思想に奉仕することに見出した人間たちが、より強いエネルギーをもったミーアに共感するのも、当然といえば当然であった。


かつてない熱が地球圏全域を包みつつある。プラント市民に共有された奇妙な連帯感。それはピンク色の灼熱だった。
ユニウス事件の際、市民たちは武器を執った。同じ場所が地球に落ちたとき、人々は複雑な思いを抱えつつ、いくばくかの寄付をした。

だが、それでよかったのだろうか?

全世界でここ数年漠然と共有されていたわだかまりの正体、つまりは未来への不安であり、自分自身のありように対する疑問。時代の変わり目によく見られるものである。そのひとつの明快な答えを、ミーアは身をもって示しつつあった。彼女がラクスほど聡明でないことも幸いした。彼女の歌は自分を支えてくれた人間への気持ちそのものだったし、その分純粋さが研ぎ澄まされる。時にはマイクが壊れることもあったが、ミーアはそれにすら気づかないようであった。歌った分だけ、ミーア自身がその気持ちを自覚し、歌にこめられる思いのエネルギーがますます強くなっていった。

顕著な変化は前線でも生じていた。フリーダムと遭遇した小隊が見事なチームワークで無事生還するなど、この時期のザフト軍の戦闘力は史上でも類を見ない。
ザフト、すなわちプラントの人民のありようが刻一刻と変化しつつあることは誰の目にも明らかであった。無論政治的な恣意も混じっていたが、情勢の変化には到底追いつけるものではなかった。“それ”が何から始まったのかすらすでに重要ではなく、奔流の行く先だけが関心事となっていた。

中心は“ザフトのラクス・クライン”、ミーア・キャンベルである。

一方で、“ラクス”の名は次第にミーアを蝕んでいった。罪悪感である。ミーアは極力名乗らないようになっていった。名乗らなくても通じるので問題はなかったが、サインをするたびに少しずつ心が痛んでいった。
私は何ができるの?という疑問が消えたとき、私は何なの?というもうひとつの問いがいよいよ大きくなってきたのである。

大勢の人間と絶え間なく接していく状況の中で、ミーアはもう、自分を追い詰めることすら忘れていた。
そして、運命の日が訪れる。


つづく