放映終了から24時間を経過した時点で、まだビデオを見返せていない。
30分ですら身構えが必要だった私としては1時間はかなり覚悟がいる。実質2時間になりうる1時間であるだけに。



ガンダムSEEDデスティニー年末スペシャル



B面

A面はこちら

焼き直しであるだけにコメントが難しい。最終話とかぶる感想もかなり出てくる。一方で、描写が増えたことによって明らかになったものもある。


ひとつが、議長の策の妥当性。
本放送時では49話で議長が行った『兵力の段階投入によりラクス軍を消耗させる』策はただ戦力が各個撃破されるだけの結果に終わっていた。

今回、議長は早い段階で『ラクスが前線に出てきていること』『エターナルを沈めれば勝てること』『オーブ本土を叩いても勝てること』を正確に認識しており、そのためだけに着実に行動している。レイに対してもはっきりと“任務は時間稼ぎだ”という指示を出している。この議長の認識は戦闘中のパイロットに当たり前に話しかけること以外は間違っていない。(もっとも、相手も待ってくれるのがこの世界なので厳密には話しかけることすら間違いではない)。つまり、議長は意外にも戦術面でもマトモに強い指揮官なのだ。

実際、オーブ側のセリフを見る限りでは『敵を分断して数で押し切る』という議長の策はかなり有効に機能しており、一時はラクスの生命線であるキラを脅かすに至っている。ラクスも『ヤバイ!』表情(右図。ラクスの追い詰められた表情というのは相当貴重なのではあるまいか。)になっており、議長は『対ラクス戦』であれば勝っていたのではあるまいか。




とはいえ、議長の計算外の要素も明らかになる。

ひとつは『量』の力であるところのザフト主力軍がすさまじく弱いことである。敵の攻撃に回避すらしないのはお互い様だが、ムラサメ隊との交戦も描写を見る限りでは6:4くらいで押されているように見える。さらに重要なことに、オーブ側には『優勢に切り込んでいける強さを持っている部隊』が存在するが、ザフトには該当する部隊がジュール隊ぐらいしか見当たらない。そして致命的なのはそのジュール隊の裏切りに上層部がまったく気づいていないことである。ヘブンズベースあたりのやられっぷりを考えても、ザフトの急激な兵力増強は兵の練度を犠牲にしたからこそ可能だったと思えてならない。

戦争に参加した時期が遅く(あくまで相対的にだが)兵力を温存できたラクス・オーブ軍と、前大戦で熟練兵のほとんどを失い、今また相次ぐ戦いで精鋭のかなりを消耗したザフト軍。両者の質的な差がここにきてボディーブローのように効いてきたのではあるまいか。たとえばオーブのザコはレクイエムに肉薄し、要塞自身の防御ではじかれている。が、ザフトのザコはオーブ艦に近づく前にMS戦で落とされている。また、ブランクが長く戦地に復帰してそんなに間がないはずのノイマンがバレルロールの命令を平然とこなしている。

もうひとつが50話でも言及したキラの覚醒である。この戦闘の途中からキラがラクスたちに指示を出しており、SP版になってその描写はさらに明確になった。つまり指揮官がラクスからキラに変わり、この時点で議長軍は対ラクス戦ではなく対キラ戦を強いられることになる。この結果、ラクス軍の進撃速度が変化しており、『議長がレクイエムを撃つ前に』メサイヤに肉薄することが可能になった。

もしキラの遺伝子が『全てを統べる』ために作られていたのなら、『側近』に準ずるであろう遺伝子を持つレイを本能的に見分けるのも造作がなかったものと思われる。キラには直感的な勝算があったのではないか?
議長の策ではシンレイの任務はアスキラへのかく乱による足止めであり、ミネルバとルナはアークエンジェルへの足止めとして機能している。だとすれば、一騎打ちになった時点でレイは追い込んだつもりで逆に追い込まれていたのではあるまいか?


ところで、最終決戦において議長軍は戦闘用ではないミーアザクをも戦線に投入している描写がある。ずっと物量で押してきたザフトの戦力もここで打ち止めなのだ。議長の一連の行動と投入された戦力、配置、犠牲の数を照会していくことで、C.E.0073戦役に議長がどういうビジョンを持っていたのかがおぼろげながら見えてくる。趣旨がずれるので詳細は別項にていずれ述べてみようと思う。


ともあれ、この戦いでギルバート=デュランダルは死亡し、彼の築いた新生ザフトは事実上瓦解する。ラクス=クラインによる停戦勧告の受諾はほぼ無血で行われており、議長の指導力のありようが垣間見られる。独裁なのか、あるいは宗教的なカリスマとして機能していたのか?
ザフト側の停戦受諾は散発的であり、これといった代表者も出てきていない。また、すぐに『身代わり』としてよりにもよってラクスを選んでいる。パトリック=ザラの時代のことも考えるなら、ザフト(プラント)という人民集団は常に強力なリーダーを必要とする群れなのではあるまいか。
それが宇宙という環境のためなのか、あるいはコーディネーター問題が引き起こした『時代の混迷』の余波なのか。興味のある人は第三作にその答えを探されても面白いかもしれない。


さて、さすがに1時間は長い。見ていていくつも気になった点が生じた。以下に列挙してみる。

・ラクスはなぜ、もっと早い段階で呼びかけをしなかったのか?
スタッフが何も考えていなかったのだろうが、前作では49話あたりでウワゴトを言っていたはずである。今回の展開を考える限り、ラクスが早い段階で呼びかければ呼応者はそれなりに多かったと思えてならないのだ。してみると、この戦闘の目的はギルバート軍閥の撃滅であって犠牲者の最小化ではないように思える。やはりラクス=クラインという存在は『平和の象徴』などではなく、『一軍の領袖』だということか。


・仮死状態のシンはなぜ、マユではなくステラのイメージを見たのか?
アスランとの戦闘時にはマユとステラをほぼ同じウェイトで回想しているのに、仮死状態のときに出てきたのはステラだけである。
一見変に思えたが、スタッフが何も考えていなかったのだろうということで納得した。シンはそもそも家族(マユ)の死をきっかけに軍人になっている。トップガンになるまでにくぐった幾多の死線の中で何度となくマユのイメージと対話していたのではないか。(『血に染まる海』でシンが覚醒したときに出てきたのがマユであり、周囲はその変化に驚いていない)
マユからもらった『明日』でシンはパワーアップし、その力で守ろうとしたものがステラだったのではないか。つまりマユの問題はシンの中では一応克服済みのものであり、ステラは一歩進んだ段階だったのではないか。


・そのシンとルナ、なぜカップルとして続いているのか?
シンはあの様子では毎日ステラの夢を見ていてもおかしくない。が、追加映像ではそれなりに日時が経過したあとでもシンとルナはカップルであるようである。スタッフが何も考えていなかったのだろうということで納得したのはともかくこれもシンとルナが士官学校以来『同じ釜の飯を食った仲間』であることを考えれば納得がいく。ルナは先刻承知でシンを選んだのではないか。
本放送を見ている限り、シンが日常的にコーヒー缶を握りつぶし壁を叩き携帯を握ってうなされる男であることは想像に難くない。シンはすでに『奇特な行動をして当たり前の人間』として認知されているのではあるまいか。というかアレだけ騒いでいれば“マユ”の意味を知らないシンの知人がいると考えるほうが不自然な気がする。


・シンは洗脳されたのか?
ラストのキラとシンの握手のシーンである。これについてはルロイ氏がかなり秀逸な考察をしている。要約すると『キラこそシンが初めてめぐりあった理解者なのではないか?』との意見。私も部分的に賛同する。部分的なのは恐らくキラ・シンどちらも『理解者』という言葉では事態を認識していないであろうと考えるからだ。ここでは問題が二つ存在する。つまり、

1:シンは何を望んだのか?
2:シンにとってキラ(フリーダム)とは何か?

1については、目の前で起きた家族の死という不条理に対する『答え』だと私は考える。何であんなことがおきたのか?という原因と、あの惨事は何だったのか?という本質への追求である。それは戦争状況であり、アスハという無責任なリーダーであり、守れなかったという自身の無力であり、恐らくは混迷の世界情勢そのものでもある。
デスティニー全編でシンが見せたのは無力への克服とアスハへの挑戦である。議長に心酔したのは、議長が状況そのものを変える可能性を持っていたからではあるまいか。そして、シンはこのすべてに一定の成果を挙げつつも敗れている。この点、デスティニーはシン=アスカの挑戦の物語であると言える。

ここで2が絡んでくる。まず、フリーダムは家族の死の際にあったイメージである。実際に仇かどうかはともかく、シンが自身の無力を考えるときに必ず直結するであろう記号である。
また、対ユウナ艦隊戦時における発言を振り返るなら、ザフトにおける教育の中でシンはフリーダム(=キラ)を英雄として認識している。シンが軍人になった段階でキラはすでに歴史の表舞台に登場しており、当初は雲の上の存在、ないしはどこか別世界の存在として認知されていたと考えられる

オーブ沖での地球軍との戦いを契機に、シンのポジションが変わる。実戦で成果を挙げたことにより、自他共にスーパーエースと目されるようになったのだ。この時点でシンとキラははたから見れば『エースパイロット』ないしは『ヒーロー』としてほぼ同格でもあり、また二人は同年代である。両者が実際に戦場で接触するに及び、シンの中でキラが現実味を帯びた目標、ないしはライバルに変化したのではないか。ちなみに両者の本放送での対戦結果だが、ステラを目の前で見殺しにしている一方シンはフリーダムを直接撃破しており、シンが『ほぼ互角』と判断していてもおかしくはない。

また、墓参の時点でシンとキラの立場にはかなりの開きが出ているはずである。片や勝ち組で戦勝国の若きエリート、片や尾羽打ち枯らした派閥のただ以下?のもと軍人。事実はともかく、ザフトが勝っていればシンがキラの立場にあることも可能だった、とシンや周りの人間たちが考えてもおかしくはない。その意味ではキラはシンのもうひとつの可能性でもある。

こうして考えるとシンがキラの顔を知らなかったこと自体がすでに論外なのだがスタッフが何も考えていなかったのだろう。、シンにとってキラとは自身の挑戦の象徴なのではないか。思えば、戦士シンはその始まりからすべてがキラという存在に集約されている。挑み、そして敗れたシンの思いのはけ口としてキラ以上にふさわしいものは、私には思いつかない。


では、キラはどうであったのか?といえば、本編にはキラがシンをどう思っているかという描写がほとんど出てきていないため、判断が難しい。
ラストでラクスがほくそえんでいるようにも見えること、キラ自身が覚醒して変質している可能性もあることなども考えれば、キラがどの程度の意味で『一緒に戦おう』と手を差し伸べたのか、一考以上の余地がある。確かなのは彼には自分が花畑を吹き飛ばしているという自覚がないことだけである。
私的にはキラにとってのシンは『パーティで紹介された何百人の中の一人』程度の重みしかないのではないか、という印象であった。したがってあの握手はシンに何かを去来させただけで、本当の意味での和解とは私には思えない。第三作でまた新たな展開があるかもだがそこまで追いかける意欲も微妙である。


・『一緒に戦おう』と言ったのがアスランだったら?
握手考察つながりでそんなことを考えた。シンの中でアスランの信用度が限りなく低いであろうことは本編を見ている限り想像に難くない。なので微妙であろう。シンにとってキラの人となりが“未知数”なのは相当プラスに作用しているはずだ。


・なぜキラではなくラクスがリーダーなのか?
スタッフが何も考えていなかったのだろう本編のラストで世界の指導者として扱われているのはラクスではあってキラではない。キラの『覚悟はある』発言を真に受けすぎた私には多少違和感が残った。
戦後ザフトに請われてラクスが指揮官格でアプリリウスに入場しているシーンではキラの姿は確認できておらず、ザフトの“旗本”ともいうべきジュール隊の護衛ぶりを見てもラストで黒衣で粛々と歩むシーンにしても、ラクスはいよいよ指導者として世界に臨むようである。一方、墓参シーンでラクスのキラへの態度は恋人のそれであり、両者の結びつきも深まっているように見える。キラは何をしているのか?
これまた第三作でまた新たな展開があるかもだが、そこまで追いかける意欲も微妙である。


・ジャスティスがファトゥムを2回使ってるんですが?
知りません。
背中のパーツ分離攻撃でミネルバとレクイエムを撃破しているように見える。スタッフが何も考えていなかったのだろうがあの世界の“常識”的にはラクス軍が大枚はたいた最新鋭機がザフト艦なんぞよりはるかに強い装甲を持っていたとしてもなんら違和感はない。



気になった小ネタ。

「こんな世界にしないと誰が言える!?」ってすげぇ説得力あるよな。責任放棄した連中の尻拭いを一人でしてたの議長だもん。

ルナによれば「なによ!毎度毎度!」だそうだが彼女がドム隊と戦うのはこれが初めてのはずである。
あわせてルナがメイリンを回想するシーン、49話にスペシャルが置き換わっている以上、若干の違和感がある。
※実際にはスペシャル版には49話の内容は含まれていないため、展開は矛盾していませんでした。

男がメソメソ泣くのはやっぱり始末が悪い。

「戦っても勝てないものもある」。タリアに振られたときと比べると、議長は自身の眉毛の濃さには勝利した模様。

「命はなんにだって一つだ!」→「お前にそんなこと言えんのかよ!」byジェリド・メサ。(同じ日にZの最終巻見てたんですハイ)


<けつろん>
挑戦することにも意義はある。しかし、勝たねば結局無意味なのだ。


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