(前半はこちら

それにしても、デスティニーのプラモを売り始めた矢先にその機体の活躍がかすんでしまうような本編の内容。
いまいち釈然としないものがある。


ガンダムSEED(デスティニー)



B面


<あらすじ>
『天空のキラ』の意味するもの


<みどころ>
周辺を哨戒していたザフトがエターナルの尻尾をつかむのにやたらてこずっている(27話から12話かけてやっと尻尾をつかんでいる)くせに、アークエンジェルとエターナルは軌道計算のデータのやりとりを何事もなかったかのように行っている。通信傍受で足がつくとかはないのだろうか。
また、そんなに簡単に通信ができる割にキラが増援で上がった』という情報を誰もエターナルに伝えていない。味方の生存率に大きく関わるはずなのに、である。少なくともキラ到着までにストライクフリーダムを準備しておくことくらいはできたはずだ。このドサクサにラクスを消したい人間でもいるのだろうか。

エターナルへのストライク着艦シーン。ガルナハン突破戦のシンの戦いを見ているとどうしても「あ゛ー今飛び込めば余裕で勝てるのに何やってんだよザフト!」と思ってしまう。

虎、ストライクの腕から吹っ飛ばされたビームライフルをキャッチするという離れ業を見せている。誰かこいつにガンバレルかドラグーン支給してやれよ。

「ラクスを・・ラクスを・・・とにかくラクスを守れ。彼女を失ったらすべて終わりだ」とうめくアスラン。何かしたかったけど何もできなかった、と冒頭で反省しており、自分(たち)にとって最優先で死守すべきは計画性のある優秀な仲間だということにようやく気付いた模様。人は失敗により日々成長していくのである。

とはいえ、そのラクス自身がキラの前ではただの女に戻るということを如実に示してくれたのも今回。恋すると周りが見えなくなるというのは不世出の軍略家であるラクスといえど例外ではなかったのである。

今回のラクスの行動を見る限り、ラクスにとっては『キラといちゃつく>>>>>>>>>>>世界情勢』に見える。前作のラストで天下に手をかけていながら辺境の孤児院に引きこもっていたのはそういう事情なのではあるまいか。アークエンジェルの面々にしても、世界をどうこうする、というよりは甘い生活を邪魔するやつを全滅させてさっさと家に帰ろう、という小学生レベルの行動理念で動いているように思えてならない。どうも我々は彼らを根本的に過大評価してはいないだろうか?って俺か。失礼しました。

つまり、彼らの批判されるべきは理念を持たないまま世直しに臨んだことではなく、『自分たちさえおとなしくしていればそのまま引退できる』と安易に考えたことであり、自分たちの政治的価値に対する認識の欠落こそが真の問題なのではあるまいか。




最近水滸伝にはまっている。水滸伝にしても封神演義にしても敵(政府)の討伐軍の相当数が主人公側に吸収されているという興味深い事実がある。
翻って、ガンダムSEED世界。主体性のない民衆を散々見させられた後でキラの不殺を見ると捕虜を丸まる自軍の戦力にするためにわざと撃破していないのではないか、などと思えてならないのである。

さて今回、「これで僕の戦いができるよ」と、キラ。
シンとの比較でも述べたのだが、この男の回避能力は実は高くないのではないか。前作の最終話でも同等の性能のプロヴィデンス相手には相当被弾しており、また今回にしてもストライクも3回被弾、Sフリーダムに乗り換えてからもグフの鞭を食らっている。
してみると“キラの戦い”とは「必殺の先制攻撃」といったところか。

ところで、“種のコンスコン”ことグラスゴー提督。実はとんでもなく有能?検証してみると恐るべき証拠が続出したので別に特集を組んでみた。もしかして俺が最初のグラスゴー萌えなのだろうか。

とはいえ、このグラスゴーとラクスの激突。当代切っての名将同士の直接対決ということもあり、ひそかな見せ場となっている。私なぞは見返すだけで魂が震えるような感動を味わってしまうのである。
そういえばグラスゴーもラクスもコーディネイター。コーディネイターには将才が絶無だと思っていたが、こうしてみるとトップ2はコーディネイターの独占である。ちゃんと整合しているとはやるなぁ福田監督


その福田監督、前作にも共通するのだが『国家のために個人の意思が捻じ曲げられるのはおかしい』『世界の都合なんざどうでもいいから好き勝手にやればいい』と考えている様子が散見される。キラのフリーダム、前作におけるイザークとディアッカのように、好き勝手に暴れまわるキャラたちのほうがはるかに生き生きと描かれている。今回のデスティニーとストライクフリーダムの対比も然り。福田監督、国家とか戦争とかのなんちゃってリアルを売り物にしているガンダムとは本質的に相性が悪いような気がする。

SEEDデスティニーにしても、世界の情勢を背景化させてアークエンジェル視点だけで描いていれば面白かったのではないか。毎週攻めてくる悪のザフトとの戦いの中、『僕たちは(平和な暮らしに戻るのに)どうすればいいんだろう・・・』と葛藤するみたいな感じで。


<けつろん
してみると、種デスもエウレカセブンのような視点で描けばよかったということでしょうか。



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